投稿:2023年7月7日12時00分
分類:書道・篆刻
今年5月に満50歳になった私。これまで、これと言った趣味も特技もなく過ごしてきましたが、そろそろ何か創作活動を始めようかな、と画策中です。
そこで、どんな創作活動を始めようかな、と考えたところ、やはり「50の手習い」となるわけですから、全く自信のないジャンルは避けたいところ。
そうなると、音楽・舞踊系、文学・文芸系、スポーツ系は除外です。
しかも、前々から、生涯続けられる「和の趣味」を始めたいな、と思っていました。
和の趣味と言って思いつくのは、茶道や華道、陶芸、水墨画などがありますが、どれもピンときません。
一番やりたい和の趣味は何かな、とよく考えたところ、お習字(書道)しかありませんでした。
今まで小・中・高の授業以外で字を習ったことはないのですが、これまで各所で「字、上手ですね〜」と言われてきました。
でも、それもあくまでボールペンや万年筆等の硬筆に限った話。毛筆はそれはもうひどいもんです。
今からお習字を始めて、死ぬまでにどこまで上達するかな、と不安でもあり、楽しみでもありますが、しっかりやっていこうと思ってます。
今日は七夕です。
一説によると、七夕は古代中国で行われていた「乞巧奠(きこうでん)」という行事が奈良時代に日本に伝わったのが起源と言われています。
乞巧奠(きこうでん)では、裁縫や芸事、書道の上達を願い、星に祈りを捧げていたそうです。
そこで、私は、七夕飾りが行われている神社に行って、書道上達の短冊を書いてこようと思い立ちました。
先日、別のブログで、東京都台東区にある小野照崎神社に行った記事を書きました。
この神社は、平安時代に参議という国家の要職にあり、儒学者、歌人としても知られる、小野篁(おののたかむら)を御祭神に祀っているんです。百人一首の「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海士の釣り船」という有名な句の詠み人としても知られていますよね〜。
この、小野篁公が東征の任に就いた時に住んでいたのが上野の照崎(今の上野公園のあたり)で、篁公が亡くなった後の任寿2年(852年)に、地元の人たちが篁公を偲んでお祀りしたのが、この神社の始まりだそうです。
江戸時代になると、寛永寺の建立のため、幕府から坂本村の長左衛門稲荷神社境内(現在地)に遷座を命じられて、今日に至っています。
そんな、学問にも芸事にも長けていた篁公にあやかろうと、今でも受験生や芸能人、芸術家の信仰も厚い神社となっているのです。
また、篁公は、平安時代に「三蹟」と呼ばれた能書家のうちの一人で「書の神様」とも称される小野道風の祖父にあたり、自身も能書家として、その後の手本にもなった人物です。
そんな篁公に少しでもあやかろうと、ゆかりの神社で、短冊を書いてきました!
【写真】カラフルな短冊がありました!
【写真】高貴な感じがする、紫色をチョイスしました。
【写真】願い事を書きました!サインペンだから、まあまあキレイな字でしょ?(^_^)
【写真】御本殿前には、笹の葉にたくさんの短冊がかけられていました。
【写真】私もかけました*\(^o^)/*